比べてみよう!世界の食と文化

インドネシア共和国のあいさつ

インドネシア語 ジャワ語、バリ語など島、民族ごとに独自の言語も話します。

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友だち同士なら「スラマッ」をつけないで「パギ」「シアン」とあいさつするよ。

インドネシア共和国の食文化・食のあれこれ

味の決め手はケチャップマニスとサンバル

インドネシア料理にかかせない食材といえば、「ケチャップマニス」と「サンバル」です。「ケチャップマニス」は、あまくてとろりとしたソースで、ナシゴレンやミーゴレンなどの味付けに使います。ケチャップは「ソース」、マニスは「あまい」という意味で、ケチャップという名前ですが、日本のしょう油のような調味料です。
「サンバル」は、ナシゴレンなどといっしょに出されるからい調味料で、食たくで料理に少しずつぜて食べます。からいだけでなくあまみとコクもあり、インドネシアの人たちはみんな大好き。家庭でもお店でも必ずといっていいほど料理といっしょにサンバルが出てきます。

ケチャップマニス/サンバル「日本でよく知られているケチャップとはちがうね。」

島、民族ごとに郷土きょうど料理がある

多民族国家のインドネシアでは、民族ごとに郷土きょうど料理、民族衣装いしょう、言語がちがいますが、それぞれの民族がおたがいの文化を大切にしながら仲良くらしています。
ナシゴレンやミーゴレンなど代表的なインドネシア料理以外にもそれぞれの民族ごとに有名な郷土きょうど料理があります。
西スマトラ島の「パダン料理」は、トウガラシなどのこうしん料を使ったからい味付けが特ちょうです。長時間にこむ料理が多く、4時間ほど牛肉をスパイスでにこんだ「ルンダン」が人気です。パダン料理は今ではインドネシア全土で食べられています。
ジャワ島には、甘めの味付けの「ジャワ料理」とあっさりとした味付けの「スンダ料理」があります。ジャワ料理で有名なのは、ジャックフルーツをとり肉とココナッツミルクでにこんだ「グドゥ」です。スンダ料理は、日本と同じように生野菜をよく食べ、魚や野菜をバナナの葉で包んでした「ペペス・イカン」が代表的です。
バリ島の「バリ料理」は、塩ととうがらしの味が強く塩からい味付けが多いといわれています。魚を使った料理が多く、魚かい類をそのまま焼いて食べる「イカンバカール」や、お祭りのごちそうとしてぶたを丸焼きにした「バビグリン」が食べられています。

パダン料理 ルンダン/ジャックフルーツ/ジャワ料理 グドゥ「40~50kgもある顔より大きいフルーツなのよ。」

どの家庭にもいつもある「テンペ」

「テンペ」は大豆から作られる発酵はっこう食品で、日本の納豆なっとうていますが納豆なっとうのようなにおいやねばりはありません。大豆をにてバナナなどの葉で包み、テンペきんをつけて発酵はっこうさせたもので、栄養が高く食べごたえもあるのでどの家庭にもいつもあり、よく食べられています。食感が肉にていて肉の代わりにもなるため、最近は世界中で注目されています。インドネシアでは12、13世紀ごろから食べられていて、宗教しゅうきょう上、肉を食べない人も多いため、たんぱくしつがとれる食材として家庭料理にかかせません。テンペをいためた「テンペゴレン」が定番ですが、カレーやココナッツスープに肉の代わりとしていれたりもします。

テンペ ©インドネシア共和国大使館

食器は持ち上げず、
右手で食べるのがマナー

インドネシアでは、左手は「不浄ふじょう」とされるためご飯は右手を使って食べます。食たくにはフィンガーボウル(水の入った小さなボウル)が用意されていて、右手の指先をあらい、中指と人差し指、親指でスプーンのようにすくって食べます。
また、食器は食たくから持ち上げないことがよいマナーで、大きな皿(または葉)にりつけた料理を、家族や友人と囲んで手を出して食べることもあります。
今ではスプーンとフォークを使って食べることがほとんどですが、あく手をする、物をわたす、お金をはらうときも左手ではなく右手を使います。

右手での食事の様子 ©インドネシア共和国大使館

主食

インドネシアのお米は
日本の米とよくている

インドネシア人はお米を食べなければ食事をしたうちに入らないというほどお米をよく食べます。インドネシアは世界第3位の米生産国で、ほとんどの地域ちいき稲作いなさくが行われています。インドネシアでさいばいしている日本のお米に中粒ちゅうりゅうのジャバニカ米や、細長いインディカ米がよく食べられています。ジャバニカ米はジャポニカ米とインディカ米の中間のようなお米でジャワがたともいわれます。日本のお米と同じようにたいて、おかずといっしょに食べるのがいっぱん的です。

ジャポニカ米/インディカ米/ジャバニカ米

めんやサゴでんぷんも主食として食べる

お米以外にも、めんやいも類、バナナ、サゴヤシからとる「サゴでんぷん」も主食として食べられています。「サゴでんぷん」は、日本のかたくり粉のようなもので、熱湯でといてペーストじょうにし、パンケーキにしたりめんやパンなどにして食べます。

サゴヤシ

家庭料理

朝食がとっても早い

インドネシア人は朝がとっても早いです。イスラム教の信者(ムスリム)が多く、毎朝4時30分からおいのりがはじまり、その後に朝ごはんを食べます。朝食はとり肉のおかゆの「ブブル・アヤム」や「ナシゴレン」がいっぱん的で、ご飯料理がよく食べられます。
インドネシアでは朝ごはんがいちばん大切な食事と考える人が多く、お家やお店で朝食を食べてから、学校や仕事に向かいます。

ブブル・アヤム

お母さんの味とおばあちゃんの味

インドネシアでは共働きの家庭がえていて、父母といっしょに住んでいる家庭もたくさんあります。平日の夕飯はおばあちゃんが作ることも多く、またいっしょに住んでいなくても週末は実家に帰ることが多いので、おばあちゃんの味を食べる機会がいっぱいあります。

インドネシアの家庭料理といえば「ナシゴレン」と「ソト・アヤム」です。「ナシゴレン」は、チャーハンのようなご飯料理で、インドネシア語で「ナシ」は「ご飯」、「ゴレン」は「油であげる、いためる」という意味があります。日本でも人気のある料理ですね。
また、「ソト・アヤム」は、スパイスのきいているとり肉のスープです。日本でいうみそしるのような位置づけで、ご飯にかけて食べることもあります。
ほかにも野菜にピーナッツソースをかけた「ガド・ガド」や、インドネシア風焼きそば「ミーゴレン」、インドネシア風とりのくし焼き「サテ・アヤム」も人気です。

ナシゴレン/ソト・アヤム/ガド・ガド

かまぼこのような練り物「ンペンペ」

「ンペンペ」は、魚のすり身とキャッサバ(タピオカの粉)を合わせて作るかまぼこのような練り物です。南スマトラ州のパレンバンの食べ物として知られていて、食べる前にあげてあまからいタレをつけて食べます。また、家庭でもめん料理に加えたり、タマリンドというフルーツのソースをかけて食べられます。

タピオカが入っているからもっちりしてておいしいんだ。
ンペンペ

インドネシア人はおやつが大好き

インドネシア人はおやつが大好きで、よく間食します。「アガール」や「マルタバ・マニス」が有名です。
「アガール」はお母さんが作るおやつの代表で、赤砂糖ざとうをゼリーのように冷やし固めたものです。「マルタバ・マニス」は屋台で売られているパンケーキのようなおかしで子どもから大人おとなまでみんなが大好きなおやつです。「マニス」はあまいという意味で、あまいチョコレートや練乳れんにゅうをはさんでいます。
また、「マルタバ・テロール」は、クレープのようなうすい生地きじたまごやネギ、味付けした肉類などを包んだお好み焼きのような料理で軽食として食べられています。

テロールは卵という意味よ。
マルタバ・マニス ©インドネシア共和国大使館

行事食

お祝い料理の「ナシ・トゥンペン」

インドネシアの独立どくりつ記念日や誕生たんじょう日、結婚けっこん式など、お祝いごとがあるときには「ナシ・トゥンペン」という料理を食べます。お米をターメリックとココナッツミルクでたいた黄色いナシ・クニンを円すい形にりつけ、まわりにいろいろなおかずをおきます。小さなものでも25人前くらいの量がある大皿料理で、みんなで囲んで食べます。
ご飯が円すい形にり付けられるのは、インドネシアの人たちは山には神が住んでいると信じていて、神に感謝かんしゃするために山の形にしたといわれています。また、ナシ・トゥンペンには「ウラップ」という色々な野菜が入ったサラダがおいてありますが、その入っている野菜にも縁起のいい意味がこめられています。
どこでも生きることができる「空心菜くうしんさい」、安全と平和な生活を意味する「ほうれん草」、長生きの「ささげいんげん」など、願いがこめられて作られています。

ナシ・トゥンペン ©インドネシア共和国大使館「円すい形のご飯のてっぺんは大切なお客さまのために盛り付けるんだ。」

インドネシア共和国の学校生活

朝早く始まり、お昼には終わる

インドネシアでは毎朝4時30分からおいのりが始まり、おいのりの後、朝ごはんを食べて通学するので、学校は7時ごろからはじまります。お父さんお母さんは子どもを学校に送りとどけてから出勤する人が多いです。
朝が早いので、お昼ごろには授業じゅぎょうが終わります。給食はなく、お家に帰ってから昼食を食べる子も多くいます。また、お家からお弁当べんとうを持ってきたり、食堂で買ったりします。

授業じゅぎょうはインドネシア語

多民族国家なので、公用語のインドネシア語で授業じゅぎょうは行われます。
また、第2母国語として必ず自分たちの民族の授業じゅぎょうがあります。言語はもちろん自分たちの民族の伝統でんとうや文化をしっかり学びます。また、小さいころからいろいろな民族が身近にいるため、他の民族のこと、インドネシア全体のことをしっかり学んで理解りかいしている子が多いです。

「仕事が始まるのも早いよ。インドネシアは大人も子どもも朝が早いのよ。」©インドネシア共和国大使館

試験に合格ごうかくしないと卒業できない

インドネシアの教育制度せいどは、日本と同じように小学校の6年間、中学校の3年間が義務ぎむ教育です。その後に、高校の3年間、大学などの高等教育があります。日本とちがうのは、小学校、中学校、高校それぞれで、卒業するための統一とういつ国家試験があるということです。点数が悪いと卒業できないこともあるので、この試験に向けてじゅくに通う子たちもいます。
また、インドネシアは前期と後期の2学期せいで、前期は7月から12月末まで、後期は1月から6月末までです。

インドネシア共和国のスポーツ

バドミントンが人気

インドネシアの国民的スポーツといえばバドミントンです。オリンピックで表しょう台をどくせんしたことがあり、政府せいふも力を入れていて国技こくぎともいえます。大きな大会では、インドネシアのファンがおうえんするかけ声も名物になっていて、選手がせめるときには「ヤー」、守るときには「ウー」という声がかかります。インドネシアの独立どくりつ記念日には、毎年バドミントンの大会が開かれています。サッカーや卓球たっきゅうも子どもたちが好きなスポーツです。

バドミントン ©インドネシア共和国大使館

インドネシア共和国の歴史

およそ100万〜80万年前にはすでに人類の祖先そせんがジャワ島に存在そんざいしていたといわれていて、
1936年にオランダ人の古生物学者がジャワ島中部の村「サンギラン」で、
ジャワ原人の化石を発見した学説があります(諸説しょせつあり)。

7世紀後半から、スマトラ島に仏教ぶっきょう国スリウィジャヤ王国が栄えます。
8世紀には中部ジャワ島に仏教ぶっきょう国シャイレンドラ王朝がはじまり、
世界最大の仏教遺ぶっきょういせきのボロブドゥールや、ムンドゥット寺院などが建てられます。

1292年、マルコ・ポーロがヨーロッパ人としてはじめてジャワ島をおとずれます。

1602年、オランダがジャワ島に東インド会社を設立せつりつ
インドネシアで豊富ほうふにできるこうしん料とコーヒーの輸出ゆしゅつどくせんします。
オランダの植民地支配しはいは、約300年続きます。

1942年、第二次世界大戦中に日本のせんりょう下に入ります。
その後1945年8月17日、日本敗戦によって独立宣言どくりつせんげんをします。
1949年、オランダがインドネシアの独立どくりつみとめたことで、インドネシア共和国が正式に誕生たんじょうしました。

1999年、住民投票により東ティモールの独立どくりつが決定しました。

2004年、住民投票による初の直接ちょくせつ投票により、ユドヨノ氏が大統領だいとうりょうに選出されました。

インドネシア共和国の民族衣装

ケバヤ

インドネシアには約300の民族がいて、民族ごとにそれぞれの衣装いしょうがあります。女性じょせいの民族衣装いしょうで有名なものに「ケバヤ」があります。
「ケバヤ」は、ブラウスとワンピースを組み合わせたもので、レースを使ったり、ししゅうを入れることもあります。インドネシアの航空会社の客室乗務員じょうむいん制服せいふくにもなっています。
また、男性だんせいの民族衣装いしょうとして有名なのが、こしにきつける一まいぬの「サロン」ですが、サロンは女性じょせいもつけることがあります。

民族衣装 ケバヤ ©インドネシア共和国大使館

伝統でんとうとしてもファッションとしても
人気なバティック

「バティック」は、バティックめともいい、「ろう」を使って一まいまい手でめられた(ろうけつめ)ぬののことをいいます。2009年にユネスコ世界無形文化遺産いさんに登録され、ケバヤやサロンなどの民族衣装いしょう生地きじや、小物などに使われています。
元々は結婚けっこん式などフォーマルな場所で着られていましたが、今では若者わかものの間でファッションとして着ることがえてきました。また、毎週金曜日はバティックデーといい、街中でバティックを着ている人をたくさん見ます。

公務員は毎週金曜日にバティックや民族衣装を着て出勤することを法律で決められているんだよ。
バティック ©インドネシア共和国大使館

インドネシア共和国の行事・お祭り

インドネシアの独立どくりつ記念日

インドネシアは約300年にわたるオランダの植民地支配しはい、日本のせんりょうて、1945年8月17日に独立宣言どくりつせんげんをしました。毎年8月17日は独立どくりつ記念日で祝日となり、街中に国旗や白と赤のテープをかざりにぎわいます。インドネシア各地で式典やパレードが開さいされます。学校でも独立どくりつ記念日のイベントが開さいされるので、この日は祝日で授業じゅぎょうはありませんが、子どもたちは自分たちの学校のイベントに参加するために登校します。

レバランきゅう

「レバラン」はイスラムれきの10月1日のことをいい、ラマダン(断食だんじき)が終わったことを盛大せいだいに祝う休みです。日本でいうおぼんやお正月に近く、1年でいちばん長い休みなので、実家に帰省する人も多くいます。
また、レバランには「クトゥパット」という料理がかかせません。ヤシの葉をんで米を包みしたちまきのようなものです。お祝いのための食べ物で数日なら日持ちがするため、日本でいうお正月に食べるおもちとていますね。

クトゥパット ©インドネシア共和国大使館

無形文化遺産いさんに登録された
「サマン・ダンス」と「バリぶよう」

インドネシアには無形文化遺産いさんに登録されている伝統でんとうぶようが2つあります。
「サマン・ダンス」は、アチェ州に住むガヨ族に伝わる伝統でんとうぶようで、楽器を使わずに、自分の胸や太もも、ゆかなどをたたいて音を鳴らしておどります。足を組んだりひざをついて一列にならんでおどるのが特ちょうです。

また「バリぶよう」は、きらびやかな衣装いしょうとかんむりをつけガムランというインドネシアの打楽器にあわせておどります。昔は神様にささげるおどりとされていましたが、今では観光客に向けて毎ばん、寺院や宮でん、集会所などで公演こうえんが行われています。ダイナミックな動きと反対に指先と目の動きが細やかなことが特ちょう的です。ストーリーのある演目えんもくも多くあり、インドネシアをおとずれる外国人にもとても人気があります。

サマン・ダンス「サマン・ダンスをおどる人は奇数の人数って決まっているのよ。」©インドネシア共和国大使館
バリぶよう「衣装もお化しょうもとってもきれいだね。」

インドネシア共和国のその他あれこれ

誕生たんじょう日は、
まわりの人たちに感謝かんしゃを伝える日

日本では誕生たんじょう日の人が家族や友だちからお祝いをしてもらいますが、インドネシアでは誕生たんじょう日の人がまわりの人たちをもてなし、食事をふるまったり、おかしをくばる習慣しゅうかんがあります。「みなさんのおかげで何さいになりました。ありがとう」と感謝かんしゃを伝えることが伝統でんとうになっています。

インドネシアのお正月は年4回ある

民族や宗教しゅうきょうが多様なので、西れきの新年以外にもお正月があります。
お正月休みは12月31日と1月1日のみと短いですが、年こしは盛大せいだいでジャカルタの都市では年が明けると花火があがり、カウントダウンを待つ人で街はにぎわいます。
また、イスラムれき(ヒジュラれき)の第1月がイスラム新年となり、多くのムスリム(イスラム教徒)がモスクに集まり共同礼拝れいはいをおこないます。
ヒンドゥー教の人たちのお正月は「ニュピ」(3月ごろ)、中華系ちゅうかけいの人たちのお正月はきゅう正月(1月下じゅん〜2月上じゅんごろ)の「イムレック」など1年のうちにお正月が4回もあるのも多民族国家ならではですね。

イスラムれきは3年ごとに1ヶ月ほどずれるからイスラム新年は年によって月もちがうよ。

インドネシアの首都ジャカルタは
交通じゅうたいがすごい

インドネシアではバスや電車などの交通機関が整っていないこともあり、車やバイクが生活の足になっています。首都ジャカルタの交通じゅうたいは世界的にも有名です。
親子4人で1台のバイクに乗るといったようなバイクの4人乗りの姿すがたもいっぱん的です。
また、じゅうたいをかん和するために、ラッシュ時間には、1台の車に3人以上乗っていないと道を通れないという決まりがあるほどです。

監修かんしゅう:インドネシア共和国大使館

インドネシア共和国の料理を作ってみよう!

ナシゴレン ナシゴレン

ナシはごはん、ゴレンは炒めるや揚げるという意味です。甘い、辛い、塩辛いなど、一皿の中にいろいろな味がする料理です。

ガドガド ガドガド

甘みのあるピーナッツのソースを温野菜にかけるサラダ風の料理で、ガドガドにはごちゃ混ぜという意味があります。