カカオの文化

スペイン(1)神聖な飲み物から貴族の嗜好品、そして庶民の味へ。チョコレートが身近にあるのはスペインのおかげ?

ヨーロッパにチョコレート文化を伝えた人物は一体誰だと思いますか。諸説あるようですがそのうちの一つをご紹介したいと思います。

チョコレートの原料カカオの原産国である中南米へ1492年に到達した探検家コロンブスが、カカオの実を目にした初めてのヨーロッパ人と言われています。コロンブスは、スペイン王室の支援を受けて計4回アメリカへ航海しますが、カカオをヨーロッパに持ち帰ったという記述は残っていないようです。

コロンブスのアメリカ到達から約30年後、スペイン人エルナン・コルテスがアステカ帝国を征服します。コルテスは最初、アステカ帝国の人々から「ケツァルコアトル(アステカ神話の農耕神、人類にカカオをもたらした神)」の化身と崇められます。コルテスがアステカ帝国へ到着した1519年がちょうどケツァルコアトル再来の年と一致していた事と、彼の姿(白髭の白人)がケツァルコアトルにそっくりだった事が原因だったと言われています。その為、アステカ帝国の人たちは、コルテス率いる軍隊に対し最初は危機感を持たず対応が遅れ、長年繁栄してきたアステカ文明をたった2年間で滅ぼされてしまったのです。崇めていたカカオの神が原因で滅びてしまった文明、歴史とは皮肉なものです。アステカの人々から丁重に扱われたコルテスは、貴重なカカオを使った飲み物を試す事が出来ました。そして、乾燥させたカカオの実を潰したものに唐辛子、バニラ、蜂蜜、ハーブなどを加えて味付けし、トウモロコシ粉を混ぜた「苦いチョコレート飲料」がスペインへ伝えられます。スペインでは苦味を減らして飲みやすくする為に、砂糖、シナモン、牛乳などを混ぜて飲むようになります。17世紀初めまでは王族貴族の飲み物として扱われ、次第に庶民の間にも広がっていきました。チョコレート飲料が大好きでチョコレート専用ポットやカップを嫁入り道具に携えスペインからフランス王ルイ13世に嫁いだアンヌ王女。彼女がチョコレート飲料をスペインからフランスへと伝え、やがてヨーロッパ全域へと広がっていったのでした。ちなみに、イギリス人が19世紀半ばに固形チョコレートを考案するまで、チョコレートと言えば「飲み物」を意味していました。

チョコレート飲料が大好きだったアンヌ女王。その父親フェリぺ3世に謁見した支倉常長率いる慶長遣欧使節は、メキシコで「健康に良い薬用飲料」としてチョコレートを試したという記述も残っています。その後やって来たスペインでも、きっとチョコレート飲料で最上のおもてなしを受けたのではないでしょうか。

さて、私達が呼んでいる「チョコレート」という言葉の語源は何処から来ているのでしょう。アステカ民族の言語のxococ(苦味・酸味)と atl (水・飲み物)を組み合わせ、スペイン人がxocolatl(ショコラトル)という言葉を創り、それがxocolate (ショコラテ)へ変化し、やがてchocolate(チョコラテ)へ。それを英語ではチョコレート、日本でも同様に呼ぶ様になったそうです。ちなみに、スペインのカタルーニャ地方では今でもxocolata(ショコラタ)と、かなり語源に近い発音で呼んでいます。語源については他にも色々な説がある様です。

次回は、スペインの「チョコレート文化」について紹介していきます。

このコラムは私が書きました。

ガイド名:荒木 正子 (あらき まさこ)

日本の旅行会社に勤務し、その際スペインと関わる業務に就く。
大学時代スペイン語を勉強していたこともあり、語学の習得目的でスペイン(サラマンカ)に留学したのが1992年。
すっかりスペインに魅了されそのまま日本に帰ることなく現在に至る。
バルセロナに住み始めて15年以上。観光ガイド、また企業視察の通訳コーディネーターとして活躍。仕事の関係上ワイン、ハム、オリーブオイルなどスペインでの食品に関する知識や造詣が深い。