
日本になかった、日本のチョコレートを。
日本人ならではの繊細さで、世界を驚かせるチョコレートをつくりたい。
そんな想いで様々な原産国に足を運び、見つけた良質なカカオの樹。
そこで採れたカカオ豆の味や香りを最大限に引き出すために、工夫を重ねました。
そしてようやく、THEという冠を自信を持ってつけられる「meiji THE Chocolate」が誕生したのです。
明治がチョコレートを日本に紹介してから、時を重ね、今、新しい日本のチョコレートが、世界を驚かせています。
チョコレートに取り憑かれた者たち
明治が誇るスペシャリティ「meiji THE Chocolate」
その比類なき味や香りをゼロからつくりあげたのは、同社に籍を置く開発者たち。
チョコレートに取り憑かれた彼らの熱い想い、そして各人の個性と才能が紡ぎ出す誕生秘話をご紹介します。
カカオクリエイター
宇都宮 洋之Hiroyuki Utsunomiya
株式会社 明治
商品開発研究所 カカオ開発研究部
1993年入社。
大阪工場、研究所などを経て商品開発に携わる。
チョコレート原料の研究のほか、カカオ生産者や輸出業者との協力関係も開拓し続けている。

カカオの木から見直し、
チョコレートができるまでの全工程に関わりたくて。
「BEAN to BAR」創造へ至るその姿勢は、明治のチョコレートづくりのDNAとして、実は古くから根付いているもの。常にさらなる進化を目指して同社が新たな取り組みに着手したのは、今から約10年前に遡る。
「カカオ農家の皆さんには、定期的に彼らがつくったカカオをチョコレートにして持っていき、これが皆様の成果だということで、食べていただく。それで自分たちの仕事の出来とともに、価値や意義を知ってもらうことを大切にしています。そしてさらなる品質向上に努めていただくわけですね」
そう語るのは、今や日本を代表するカカオクリエイターとして名を馳せる宇都宮。最高のカカオ豆を求め、1年で地球を3周以上回るくらいの移動を何年もかけて繰り返し、質の高いカカオづくりを求めて世界中を飛び回った。
そうした精力的な活動を続けるうち、宇都宮がたどり着いたのは、「原料から商品まで一貫して手掛ける製菓会社、明治がより特別なチョコレートを完成させるには、どうすればいい?」という疑問であり、大命題である。
そして遂に思い至ったのが、より根本的なこと___。つまり「産地の見直し」からしっかり取り組むべきではないか、という真理だった。
「良質なカカオ豆を育て、発酵、乾燥する。そして船に積み込み、日本に向けて送り出すまでの全工程にしっかり関わるためには現地に滞在するしかない。そう決意をかためたのです」




「メイジ・カカオ・サポート
(Meiji Cocoa Support:MCS)」始動。
現地の生産者たちとともに汗を流し、
真摯に向き合う。
宇都宮の、そんな「探究者」魂が芽生えたのは2005年のこと。そう、カカオ農家と直接取引を行うと同時に、数々の支援活動に取り組む「MCS(メイジ・カカオ・サポート)」のスタートだ。
「はじめに私たちを出迎えてくれたのは、『お前は何しに来たんだ』という視線ですよ。カカオ豆農家は大体販売ルートを持っていますから。そこでまず現地の人たちと様々なコミュニケーションをとっていかに打ち解けるかが重要。私たちが本気であることをわかってもらうところからのスタートでした」
いざ農家と連携を組んだ後も、日々、地道な取り組みの連続だったという。
「一ヶ月間現地に滞在し、理想のカカオ豆づくりのための議論や意見交換をした後に、日本に飛んで帰ってチョコレートの試作品をつくる。それから現物を持って再度現地へ赴き、フィードバックして改善を図る。その繰り返しでしたから、年に4~5ヶ月は海外にいたイメージですね。大変ではありましたが、その積み重ねこそがザ・チョコレートの源流になっているんです」
良質な特長を最大限に生かし創り上げた
チョコレートを、もっと未来へ、世界へ。
宇都宮の探究心が導き出し、結実した「明治 ザ・チョコレート」。
「日本でも、近年では様々なこだわりをもったチョコレートを見かけることが増えてきました。ですが、いまだに子供が食べるお菓子だと思っている人も多い。だからこそ私たちが創ったザ・チョコレートがきっかけで、たとえばコーヒーを豆から選ぶのと同じように、チョコレートもカカオ豆から選び思い思いに愉しんでもらえたら…。ここ日本にそんな大人の『チョコレート文化』そのものをつくっていくことができたなら、これほど幸せなことはありません」
果てることなき「夢」に思いを馳せながら、カカオクリエイター・宇都宮は、今日も世界を飛び回る。

古谷野 哲夫Tetsuo Koyano
株式会社 明治
執行役員 大阪工場長
1982年入社。
’93年にチョコレート油脂の研究で広島大学より「農学博士号」を取得。
その後、菓子開発研究所長を経て
’15年より執行役員と大阪工場長を兼任する。

明治「BEAN to BAR」は、チョコレートづくりの歴史だ。
お菓子が誰より好きなひと。
古谷野はそんな第一印象を抱かせるほど、おだやかで親しみやすい笑顔の持ち主である。
けれど「明治 ザ・チョコレート」生みの親である彼のキャリアや肩書きは、ちょっと引いてしまいそうなほど敷居が高い。なにしろ執行役員にして大阪工場長、さらには農学博士号まで持ち合わせているのだ。「いやいや、当社の『BEAN to BAR』には及びません。カカオの厳選から製造・販売まで全工程を手掛けるその姿勢は90年も昔からはじまり、今なお進化を続けていますから」


「川上を攻めろ!」
その精神でカカオの原産国へ。
日本におけるチョコレートづくりの歴史に魅せられた古谷野は、入社以降、チョコレート油脂の研究などに没頭。やがて新商品の開発チームを率いる存在となっていく。「チョコレートの原点であるカカオ豆こそ、産地にこだわるべきではないかと思い至ったのが20年ほど前のこと。そこで我々は『川上を攻めろ!』を合言葉に、はじめてカカオ原産国であるベネズエラへ赴いたのです」カカオ豆の原産国をチョコレートの「川上」ととらえ、チームの鉄則として各国の農園めぐりをスタートした古谷野。当時から先進性で注目を集めたこの活動により、品種の選定はもとより豆の「発酵」にも、いっそうのこだわりを求めることとなったのだ。
明治スペックのカカオ豆に
こだわり抜くことの意味。
「クリオロ種やフォラステロ種をはじめ、カカオ豆には3種類の品種がありますが、さらに発酵方法を変えることで味や香り、そして品質も異なります。そこで我々は幾度も試験を繰り返し、その結果を農家に伝えることでより良質の原料づくりを目指しました。そしてようやくたどりついたのが『明治スペック』のカカオ豆であり、『明治 ザ・チョコレート』なのです」
明治が刻み続けてきたチョコレートの歴史に、原産国、発酵過程などすべてにこだわり抜くことであらたな足跡を残した古谷野。
しかし、その「攻める」姿勢にはまだ先があるという。
「新生となったザ・チョコレートも、決して頂点ではありませんから。
お客様に『これぞ!』と感じていただける世界一の品質へたどり着くまで、これからもますますカカオと真摯に向き合っていきたい。
それが明治の、そして日本の誇りです」








