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光岡知足:研究の日々(1)

振り返ってみると・・・半世紀を超える研究の日々

大学院で腸内細菌の研究を始める

1950年、東京大学畜産学科に入学し、基礎医学のほとんどを網羅している獣医学を専攻した私は、そのまま大学院に進み、家畜細菌学教室に入室しました。
指導教授である越智勇一先生から与えられたテーマは、「ニワトリの腸内菌叢(腸内フローラ)の研究」。これが私の腸内細菌研究の始まりでした。

当時、日本では腸内細菌の系統的研究がまだ確立していない中、5カ月間で、内外のすべての文献(百数十の論文)を整理し、教室のゼミで発表しました。これは、後に3編の総説として学会誌に発表することになります。

便からビフィズス菌を発見

そして、いよいよ腸内フローラの培養法の検討から始めました。便の中には1グラムあたり100億個の細菌が存在するにもかかわらず、当時、まだその中の1億個程度しか培養できていなかったのです。
そこで、当時使われていた「細谷式嫌気性培養法」を導入するとともに、培養基としてブドウ糖血液肝臓(BL)寒天平板を考案しました。この培養法で、これまでの10?100倍も多くの細菌が発育し、しかもその大半が、それまで培養できなかった乳酸桿菌や嫌気性菌でした。今日、乳酸桿菌やビフィズス菌の培養に使われているBL培地はこうして開発されました。

このBL培地を使い、わたしの糞便を培養してみると、乳児のとは違った形態のビフィズス菌が最優勢菌として培養されていることを発見しました。当時、「ビフィズス菌は成人にはいない」といわれていましたが、私は『成人のビフィズス菌は、健康にとって重要な腸内菌』と確信し、このことが、10年後から始まるヒトの腸内フローラ研究に発展していきます。

成人の糞便のBL寒天平板培養

ビフィズス菌の培養集落

限りなく奥が深い細菌分類学と微生物生態学

1958年、伝統のある理化学研究所に入所します。入所当初、ここには鶏を飼う施設がなかったため、自宅の離れで飼いながら鶏の腸内フローラを研究し、雛のフローラは28日齢頃になってようやく完成するという、これまでの報告とまったく異なる「腸内フローラの推移の法則」を発見し、ドイツの細菌学誌に発表。この研究は大きな反響を呼び、今日、機能性食品開発の拠り所となった「ヒトの腸内フローラの年齢に伴う推移についての生態学的法則」の発見に発展していきます。

【コラム】  高校時代の植物学ノート

前川文夫先生との出会いが、ライフワークとして研究するきっかけとなった。