ブルガリア初のヨーグルト工場で生産技術を開発
ギルギノフは大学で獣医学を修めた後、ブルガリアの首都・ソフィアの衛生管理研究所を経て、1944年から1951年まで、当時ブルガリアで初めて設立されたヨーグルト工場「セルディカ乳業工場」の所長となります。ここでのギルギノフの功績は一言でいえば、工程の自動化をはかり、保存に耐える、より美味しいブルガリアヨーグルトを工場生産する技術を開発し、実現したことです。
それまで、ブルガリア国内のヨーグルトはすべて自家製で、原料もほとんど羊乳が使われていました。しかし、工場生産をするためには原料ミルクの安定供給が必要なため、冬の間は採れない羊乳は使えません。そこでギルギノフは原料を牛乳に切り替えました。ギルギノフは、あくまでも伝統的な自家製ヨーグルトの作り方を重視し、この方法によりヨーグルトの品質を保ちながら大量生産するための改良に心血を注いだのです。
美味しいヨーグルトを1日100トン以上生産へ
ヨーグルトは温めた乳にスターターを加えしばらく保管しておけば、スターターの菌が乳を発酵してできあがります。原理は決して難しいものではありません。しかし、つねに品質を一定に保ちながら連続して大量に生産することは簡単ではありません。
ギルギノフは日夜、最高の味を引き出すために、牛乳の品質管理、発酵に使う菌の選定、製造中の温度管理、pH調整、脂肪調整‥‥など、障害を一つひとつ乗り越え、製造工程を全て自動化した装置を開発し、セルディカ乳業工場を稼働させていきました。生産量は、最初の年は1日10トン程度でしたが、やがて、100トンを超えるようになりました。
その後、この工場は、1989年までブルガリア最大のヨーグルト工場として稼働しました。
世界各国へ生産技術を提供
ギルギノフはセルディカ乳業工場勤務の後、1951年からブルガリア南部プロヴディフの食品味覚産業高等研究所に移り、1974年、67歳で退官するまで第一線で活躍し続けます。このギルギノフの工業化の成功で、国内にいくつもの工場が設立され、ブルガリアのヨーグルト生産量は増え続けます。
また、ギルギノフが取得した特許は今も生きており、この技術により世界中でヨーグルトの製造が可能になったといわれています。ギルギノフは国内だけではなく、オーストリア、ドイツ、イタリアといった乳製品先進国をはじめ、日本にも出向き、意見交換や技術指導、ライセンスの提供等も精力的に行いました。 |
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プロヴディフの 食品味覚産業高等研究所 |