ヨーグルトというと、最近日本に来た食品のようですが、じつは奈良時代にもヨーグルトと同様のものがすでにあったようです。
日本人が初めて牛乳を飲んだのは、百済(くだら)から牛が輸入された欽明天皇(在位540~571)の時代のようです。
やがて、国営の牧場が各地に作られます。牛乳はそのままでは腐敗しやすいため、加熱し、現在のコンデンスミルクやヨーグルトのようなものとしたり、加工してバターやチーズのようなものにして食されたといわれています。
しかし、これら乳製品は、それ以降長い間、あくまで極上品で、ほんの一部の人だけのものでした。
発酵乳が日本人の食卓にのぼるのは、明治も半ばになった頃のことです。文明開化により、外国の文化がどっと日本に押し寄せてきました。食生活にもそれはあらわれ、牛乳が少しずつ飲まれ始まるようになりました。
1894(明治27)年頃、ある人が牛乳の販路拡大の手段として「擬乳(ぎにゅう)というものを売り出しました。この擬乳というのはヨーグルトのことで、整腸剤というふれこみでした。
1908(明治41)年には、医療の現場で、フランスから輸入したヨーグルト菌でヨーグルトを作り糖尿病治療に使用され、効果を上げたといわれています。
その後、明治時代末にヨーグルトや乳製品が続けて販売され、乳酸菌を使った食品の市場に次々と業者が参入していきます。大正時代初め頃のヨーグルトの年間生産量は34トンになり、徐々に日本人に広まっていきます。この頃から、日本でも「ヨーグルト」と呼ばれるようになりました。
時期は前後しますが、1908(明治41)年には、三島海雲が内蒙古でモンゴル酸乳に出会い、帰国した後、これにヒントを得て1919(大正8)年には乳酸菌飲料「カルピス」が発売されています。
しかし、こうして相次いで発売された乳酸菌食品も、まだ、一般家庭の食卓に定着するほどの拡がりはみせてはいませんでした。
第2次世界大戦後、日本はしばらく食糧難の時代が続きますが、人々の間で徐々に優れた健康食品としてヨーグルトが認知されるようになっていきます。
そして、1950年、明治乳業(当時)が工場での本格的なヨーグルトの製造を始めました。この時期、他の乳業会社も次々と製造販売を始めています。
この頃日本で作られていたヨーグルトは、甘味料と香料を加え、寒天やゼラチンで固めたものがほとんどでした。これは、日本独特の「ハードヨーグルト」と呼ばれているもので、容器は小型のガラスびん(90~100ml)でした。
1953年には、東京都内だけでも1日5万本のヨーグルトが消費されたといわれています。
その後、ヨーグルトの消費量は拡大し、日本人の食生活に確実に浸透していきます。
開発・製造の分野でも、1964年に、世界に先駆けて日本で「発酵乳の連続発酵装置」の開発に成功。安定した品質のヨーグルトを製造する技術が飛躍的に向上していきます。
そんな中、1969年に果肉を加えたフルーツヨーグルト(ソフトヨーグルト)がプラスティック容器入りで各社から発売されました。