ヨーグルトの研究者たち

グリゴロフ


何千回という実験の末、27歳で3種類のブルガリア菌を発見した早熟な医学者


スタメン・グリゴロフ(1878~1945)

細菌学を専攻する医学部生であったグリゴロフは、ブルガリアヨーグルトに魅せられ、研究を続ける中で、ついに3種類の乳酸菌を発見し、主要菌種であると発表。

自然科学から医学の道へ

1878年、ブルガリアで生まれたグリゴロフは、自然科学を学ぶため南フランスの大学に進学します。彼の優れて論理的な思考に対し、指導にあたった教授は医学への進路を奨め、やがてスイスのジュネーブ大学医学部へ進みます。
そこでは細菌学の第一人者とされていた教授の下で細菌学を学び、その分野でもすぐに頭角を現し助教授として推薦されますが、実家からの送金が途絶え、ブルガリアに帰国します。故郷で医師をやりながら骨を埋めようとしていたグリゴロフでしたが、やがて彼と結婚する娘の実家の援助で再びジュネーブで研究できることになります。旅立つ彼に、妻は彼女の故郷の隣村であるブスィンツィー村の伝統的な壺ロカットゥカに入ったヨーグルトを手渡しました。これが、彼の幸運をもたらすことになります。
ジュネーブの大学に戻った彼は、この壺の中のヨーグルトの発酵菌に没頭しました。

ブルガリアヨーグルトから3種類の菌を発見

1905年、グリゴロフが大学4年、27歳の時、何千回と繰り返していた実験の末、ついにブルガリアヨーグルトの中に3種類の嫌気性菌(酸素を嫌う菌)のいることを発見しました。細長い形をしたものをBacilleA(桿菌A)、丸い形をしたものをMicrococcqueB(球菌B)、鎖のように連なった菌をStoreptobacilleC(連鎖桿菌C)と呼び、これらがブルガリアヨーグルトの発酵を促し、独特の酸味と風味をもたらしていることを発表したのです。
そのレポートを受け、指導教授は早速、旧知のメチニコフに連絡し、パスツール研究所での講演依頼の返事がきました。
大講堂で行われた講演は、各国から来た学者や研究者で大盛況でした。グリゴロフはここで、ロカットゥカの壺に入ったヨーグルトと顕微鏡を使って彼が発見した菌を披露すると同時に、いかにブルガリアヨーグルトが長寿に寄与しているか熱烈に語ったと伝えられています。講演後、多くの研究者が、グリゴロフとパスツール研究所にこの研究を継続するよう要望し、メチニコフも確約しました。

ブルガリア桿菌

ブルガリア桿菌

ジュネーブ大学医学部賞を受賞

この年、グリゴロフは、当時死病と恐れられていた虫垂炎が、ある種の嫌気性菌の異常増殖で引き起こされることを証明する「虫垂炎の病原論」で、ジュネーブ大学医学部賞も受賞しています。そして医学部を卒業し故郷に戻った彼は、その後20年間、市立病院の医長として科学的な医療を追求していくことになります。
この間は、結核の研究に没頭し、結核のワクチンを開発したとも伝えられています。