は発売の5年も前、
、
明治の研究所にて
や
などの小粒チョコレートの今後について検討しているところからでてきた話でした。
昭和44年に明治の大阪工場ではアポロチョコの生産がはじまりましたが、当時はまだ売れ行きもイマイチで工場設備を有効に活用しようと大阪工場の担当者がもってきた試作品だったのです。
このアイデアには賛否両論でした。
何しろ、板チョコやチョコバーが全盛のころで、チョコスナックとしてはポッキーが発売されてまださほど時間も経っていない頃。今でこそファンシーで可愛いチョコスナックも、当時としては
として評価されても当然だったのです。その後発売に5年近い歳月がかかったことからも、当時のいきさつが想像できると思います。
チョコレートとクラッカーの品質や形、またその製法に様々なアイデアと苦労がかけられ、
が行われ、ようやく
が生まれました。
商品名やパッケージも新しい時代を切り開くのにふさわしいものでした。
は横文字が全盛の時代にあえて郷愁や自然、人間のやさしさといったイメージを表現する親しみやすいネーミングとして
がつけられ、
では、当時までの”お菓子には不適”という常識を破り、初めて緑色の色調を主体としたデザインが生み出されたのです。
その4年後の昭和54年には
が発売され、日本に本格的なファンシーチョコスナックの時代を作りあげていくこととなります。
はその後も食べやすさやチョコレートとクラッカーのバランスなどおいしさの追求を休むことなく繰り返し、現在の規格となっています。
おかげさまで
は長い間愛され続けてきました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。人間ならもう立派な大人。
お客様に育てていただいた
は、これからもおいしさや楽しさはもちろん、やすらぎやゆとりを提供できる日本のお菓子の代表選手としてもっともっと大きく育てていきたいと考えています。

















