きのこの山・たけのこの里 大連立プレゼントキャンペーン
きのこ・たけのこ資料室

きのこの山 誕生秘話

みなさん、こんにちは。明治の新入社員・おかし担当の里山です。HP担当のFさんが、「きのこの山の発売秘話を調べておいてくれ」って、いきなり言うもんだから、明治の広報室に調べにきたんだけど・・きのこの山が発売されたのは1975年9月。かなり昔なんだよね〜。ということで、明治の社内報から当時の記録を探ってみようと思います。

きのこの山のアイデアは発売の5年も前、昭和45年
明治の研究所にてアポロチョコベビーなどの小粒チョコレートの今後について検討しているところからでてきた話でした。
昭和44年に明治の大阪工場ではアポロチョコの生産がはじまりましたが、当時はまだ売れ行きもイマイチで工場設備を有効に活用しようと大阪工場の担当者がもってきた試作品だったのです。

このアイデアには賛否両論でした。
何しろ、板チョコやチョコバーが全盛のころで、チョコスナックとしてはポッキーが発売されてまださほど時間も経っていない頃。今でこそファンシーで可愛いチョコスナックも、当時としては奇妙なお菓子として評価されても当然だったのです。その後発売に5年近い歳月がかかったことからも、当時のいきさつが想像できると思います。

チョコレートとクラッカーの品質や形、またその製法に様々なアイデアと苦労がかけられ、何百もの試作が行われ、ようやく初代のきのこの山が生まれました。

商品名やパッケージも新しい時代を切り開くのにふさわしいものでした。商品名は横文字が全盛の時代にあえて郷愁や自然、人間のやさしさといったイメージを表現する親しみやすいネーミングとして「きのこの山」がつけられ、パッケージでは、当時までの”お菓子には不適”という常識を破り、初めて緑色の色調を主体としたデザインが生み出されたのです。

その4年後の昭和54年には「たけのこの里」が発売され、日本に本格的なファンシーチョコスナックの時代を作りあげていくこととなります。
「きのこの山」はその後も食べやすさやチョコレートとクラッカーのバランスなどおいしさの追求を休むことなく繰り返し、現在の規格となっています。

おかげさまで「きのこの山」は長い間愛され続けてきました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。人間ならもう立派な大人。
お客様に育てていただいた「きのこの山」は、これからもおいしさや楽しさはもちろん、やすらぎやゆとりを提供できる日本のお菓子の代表選手としてもっともっと大きく育てていきたいと考えています。

みなさん、これからも「きのこの山」をどうぞよろしくおねがいしますね

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