乳酸菌研究最前線

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ゲノム解読で分かった乳酸菌の事実

ゲノム解読で分った驚くべき乳酸菌の事実

2001年以降、次々に公表されてきた乳酸菌のゲノム解読情報は、それまでの常識をくつがえすような、予想もしなかった乳酸菌の姿を明らかにしています。ここでは、その中から代表的な二つの事実をご紹介しましょう。
乳酸菌は、酸素を使った呼吸を行わず、酸素に大変弱い細菌と言われ、それは常識とされてきました。しかし、最初にゲノム解読データが公表されたラクトコッカス・ラクティスと言う乳酸菌のゲノムを調べたところ、なんと酸素呼吸に必要な一連の遺伝子群のほとんどを持っていることが分ったのです。ヘムと言う鉄を含むタンパク質を加えて、酸素がある環境の中でこの乳酸菌を培養する実験を試みたところ、実際に酸素呼吸を行うようになったのです。それまで抑制されていた酸素呼吸に関わる遺伝子群が発現する一方で、嫌気条件での発酵に関わる遺伝子群は働きが抑制されてしまい、乳酸は作られなくなりました。今まで呼吸しないことがその定義の一つにあげられることもあった乳酸菌が、条件によって代謝を変化させて呼吸する能力を持っているという事実が判明したことは、世界中の研究者を驚かせるものでした。
もうひとつの事実も、乳酸菌の隠された能力を示すものでした。乳酸菌は生きていくために欠かせない栄養分であるアミノ酸の全てを自分では作れないため、外部環境から取り入れていること(アミノ酸要求性があること)はよく知られています。しかし、ゲノム解読の結果、乳酸菌の多くがほとんど全ての種類のアミノ酸を作る遺伝子を持っていることが分ったのです。また、まだ例は少ないのですが、多くの種類のアミノ酸を作る遺伝子を全く持たない乳酸菌がいることも判明しました。こうした事実から、外部からアミノ酸を取り入れて生きている乳酸菌には、アミノ酸を作る遺伝子を持っているにもかかわらずその発現を控えているものと、遺伝子を持たないでものの2種類がいると推測されます。
ゲノム解読がもたらす乳酸菌の遺伝情報の数々は、今までの研究で判明していた乳酸菌のイメージに大幅な変更を迫り、新たな乳酸菌像を描きつつあるのです。

ゲノム解読で得た情報をどのように利用するのか?

ゲノム解読で得た塩基配列や遺伝子の数などの情報は、ただそれだけでは、それぞれの遺伝子がどのような働きをしているのかは何も分りません。遺伝子の働きを見るには、ゲノム情報を利用した新たな実験を行わなければなりません。いくつかの実験方法の中で、現在、簡便性と正確さから大きな注目を集めているのが『マイクロアレイ解析』と呼ばれる方法です。
この方法の概要は次のようなものです。ゲノムにある遺伝子は、生命活動に必要なタンパク質を直接作っているわけではありません。条件に応じて必要とされる遺伝子のみがRNAにコピーされ(転写といいます)、そのRNAを仲介役としてタンパク質が作られています。したがって、特定の条件のもとでどの遺伝子が働いているのかは、各遺伝子がら作られるRNA量(転写量)を調べれば確実に分るわけです。
具体的にマイクロアレイ実験はどのように進められるのでしょうか?少し難解かもしれませんが説明します。

  • (1)まず、小さなガラス板の上に、乳酸菌ゲノムにある約2000個の遺伝子の配列を持つDNAを1個づつ正確にスポットとして並べたもの(マイクロアレイ)を作ります。
  • (2)次に、ある条件のもとで培養した乳酸菌の細胞中にある全RNAを取り出します。
  • (3)このRNA中にある各遺伝子のRNA量(転写量)を測定したいのですが、そのままでは測定できません。そこで、全RNAをもとに相補的なDNA(cDNAといいます)を酵素反応で合成します。その際、後で目印となるように蛍光色素を標識しておき、それをガラス板(マイクロアレイ)上のDNA全てに行き渡るように加えて反応させます。
  • (4)最後に、各cDNAの蛍光強度を調べれば、特定の実験条件のもとでどの遺伝子がよく働くのか(転写促進)、または、抑えられるのか(転写抑制)が分るというわけです。

乳酸菌の全遺伝子(約2000個)の変化が一望でき、なおかつ今までの方法では見逃されてきた遺伝子が見つかる可能性が高いこのマイクロアレイ解析は、今後ゲノム研究の進歩に欠かせない大事な武器として広く利用されていくことでしょう。

ゲノム研究は乳酸菌を丸ごと理解すること

最後に、マイクロアレイ法によって解き明かされたある乳酸菌の性質についてご紹介しましょう。
ラクトバチルス・ガセリという乳酸菌は、他の乳酸菌には見られない、胃酸に強い耐性を示す性質を持っています。この性質は、胃酸の攻撃から自らを守り、胃で活躍し、さらには、生きたまま腸に到達することを可能にするため、プロバイオティクス菌にとっても重要な性質と考えられ、その仕組みの解明に大きな関心が寄せられています。
この乳酸菌を酸で刺激し、マイクロアレイに並べた約1600個の遺伝子を調べたところ、100個以上もの遺伝子が活発に動き出すことが分ったのです。そのデータを検討した結果、耐酸性は多くの機構が協調しながら働いている結果であることが明らかになりました。例えば、入ってきた酸を中和する、入ってきた酸を外に出す、酸で傷ついた核酸や蛋白を修理する、などの働きが一斉に働き出します。と同時に、酸耐性発現にエネルギーが必要であるため、細胞の増殖を中断するように一群の遺伝子が抑制されることも判明しました。

乳酸菌の能力は、全てゲノムの中に書かれた遺伝情報に基づいて発揮されます。つまり、ゲノム研究とは乳酸菌を丸ごと理解することにほかなりません。
私たち人類は誕生以来、乳酸菌から多大な恩恵を得てきました。これからも、食生活に、そして健康に、より多くの恩恵を乳酸菌から受けていくためには、ゲノム情報を活用して乳酸菌がどのような生き物であるかを良く知り、隠されている能力を最大限に引き出す努力を続けていかなければなりません。

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