荷風先生は、ここ銀座では臺湾喫茶店の頃からカフエーの常連客でいらつしやいます。銀座のカフエーの草分け、カフエー・プランタンが出來た時には丁度慶應で教授をなさつていて、洋畫家でオーナーであられる松山省三さんに、「三田の學生達がプランタンで會をしたがつているが、二階を貸して貰へないだろうか」と話したさうです。それを切掛けに慶應の學生さんたちが「銀ブラ」をしに、度々銀座にお見えになるやうになりました。さうかと思へば、プランタンでは、作家同士で喧嘩になり殴られた事もあつたさうですよ。 震災後の銀座にはすつかり興味を無くされたやうで、暫くお見えになりませんでしたが、十年程前でしたでせうか、カフエー・タイガーにお氣に入りの女給がおできになつて、熱心に通つておられました、ところがその女給とお金で揉めて警察沙汰を起こしたさうですよ。ここで、辻潤さんに面罵された事件もありましたね。今度こそは銀座がお嫌かと思ひましたが、サロン春やゴンドラに度々お見えでした。そのタイガーも、今年閉店になつてしまひましたが。
入りの女給がおできになつて、熱心に通つておられました、ところがその女給とお金で揉めて警察沙汰を起こしたさうですよ。ここで、辻潤さんに面罵された事件もありましたね。今度こそは銀座がお嫌かと思ひましたが、サロン春やゴンドラに度々お見えでした。そのタイガーも、今年閉店になつてしまひましたが。