眞説・銀座カリー物語 ―女たちの銀座カリー物語―
壱
女学校を出たからには職業婦人になつて、自分のお金で大好きな銀座のカリーが食べてみたい。さう思つてお夕食の時、「ネエお父様、叔父様の商事会社に紹介して下さらない?」と運動したら、「馬鹿を言ふな!」と頭ごなし。「職業婦人なんて、そんな端たない真似は飛んでもありません」と母も猛反対。其れならいいわ、職くらゐ、私、自分で探します。
弐
丸の内の船会社のタイピストの募集に、職業紹介所は長蛇の列。気後れしてゐたら、「大丈夫、屹度入れるわ」と声を掛て下すつたのは、章子さんと仰有る方。意気投合して、帰りに女同士で銀座へ出ました。「お茶飲ンでかない?」。「えゝ、でも私、お腹空いたわ」。「アラ私も!」と、二人で入つた洋食店で、註文も同じライスカリー。一緒に職業戦線に立ちたいわ。
参
船会社のタイピストに採用が決つたのは宜いけれど。御丁寧に調査員が尋ねて来てから採用通知が届くまで、わが家は上を下への大騒ぎ。猛反対する母に、「やらせて見れば宜いぢやないか。如何せ一月と続きアしないよ」と兄。言ひ草はチヨツト気に喰はないけど、最後に父を頷かせたのは、流石はわが兄、大手柄よ。初月給が出たら、銀座のカリーを奢つて上げる。
四
今日から私はタイピスト。職業紹介所で御一緒だつた、章子さんも同期です。「如何です、入社祝ひでも」。「銀座のカフエーにご案内しませう」と、若手社員の皆様、口々にお誘ひ下さいます。でも、「外国課は不良が多いですからな」といふ松野庶務二課長さんの御注意を思ひ出し、結局二人だけで銀座のカリーを戴きました。心配なやうな嬉しいやうな、心時めく初日です。
五
此の頃、同じ外国課の加藤さんが、夕方になると私の席にいらつしやいます。「今日こそお送りしませう」。「今日こそはお茶でも飲みに参りませんか」…。周りの方は、「来たゼ来たゼ」。「ヨツ、色男!」などと囃されます。ネ、加藤さん、お誘ひ下さるのは嬉しいの。唯「銀座の洋食店でカリーでも」とだけ仰有つて下されば、一も二も無くついて参りますのに。
六
同じ外国課の加藤さん。近頃お誘ひ下さらないと思つたら、同期の章子さんにモオシヨンをかけてらしたんですツて。失礼しちやう。そんな折、銀座の洋食店で、兄から同僚の鈴木さんを紹介されたの。加藤さん見たいな軟派ぢや無くて、而もカリーが大好きと仰有る好男子。後で「好い方ネ」と言つたら、「お前も案外だな。あの堅物を…」と兄。失礼しちやう!
七
兄の同僚の鈴木さんとデイトをしました。銀座の洋食店で、御食事です。「春美さん!」。「ハイ」。「…此店のカリーは美味いです」。「さうですわね」。「春美さん!」。「ハイ」。「…カリー、美味いですね」。「本当に」。「春美さん!」。「ハイ」。「僕ア…貴女のやうな人となら、平和で愉しい家庭生活を送れるといふ気がします」!?!吃驚、目の前に火花が飛んで、耳朶まで火照つて了つたわ!
八
同じ外国課の加藤さん。以前何度もお誘ひ下すつたのは、同期の章子さんがお目当てだつたんですツて。なアんだ。「御免なさいね、回り諄い方で」と、銀座の洋食店で章子さん。「アラ、貴女が謝る事は無いわ、それよりご婚約、お目出度う。それに私も、ホラ!」…。丁度入つて見えたのは、私の婚約者、鈴木さん。「お待たせ!さア、皆でカリーを戴きませう!」
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