お生まれは淺草ですが、慶應義塾で永井荷風先生のお弟子さんでした。永井先生が明治四十三年、慶應義塾の文科の先生になられた時は大變な評判でしたね。何せ、其れ迄文學といへば「早稲田」でしたから。永井先生は『三田文學』を創刊なされ、未だ學生さんだつた久保田先生が小説「朝顏」を發表なさつて、一躍有名になりました。學生の頃の久保田先生は、お家のある淺草から三田まで市電に乘つて通ふ途中、銀座で降りては銀ブラしたり、尾張町の服部書店で買物したり、カフエーパウリスタには毎日のやうに通はれたとの亊です。永井先生が學生逹を銀座に連れて來られた時も、ご一緒に居られたのでせうね。
最近ではすつかり人氣作家。小説だけでなく戲曲を随分手掛けられ、築地小劇塲で演出をなさつたり、ラヂヲドラマも書いて居られます。俳句でも大層有名でいらつしやいます。愛宕山の東京中央放送局にお勤めになられてからは、銀座に本當によく來られますよ。交詢社の地下にあるサロン春や、大阪から來たカフエー赤玉なんかにね。以前は銀座はお好きでないと仰有つて居られたやうですのに、餘り派手に遊ばれるので昔のお友逹は心配して居られます。
曲を随分手掛けられ、築地小劇塲で演出をなさつたり、ラヂヲドラマも書いて居られます。俳句でも大層有名でいらつしやいます。愛宕山の東京中央放送局にお勤めになられてからは、銀座に本當によく來られますよ。交詢社の地下にあるサロン春や、大阪から來たカフエー赤玉なんかにね。以前は銀座はお好きでないと仰有つて居られたやうですのに、餘り派手に遊ばれるので昔のお友逹は心配して居られます。